食器


食器 
しょっき

食事に用いる器具。狭義では,椀,茶碗,皿,鉢,杯,グラスなど,特に食卓で使う飲食用器と,神,スプーン,ナイフ,フォークなど飲食用具をさす。広義では,これに加え鍋,釜,すり鉢,包丁などの調理用器具,保存用器具,食膳,盆,重箱なども含む。ここでは狭義の食器のみをとりあげる。
 飲食用の器具には,食事を共にする何人かが共同で使う共用器と,各自が使う銘々器とが区別できる。日本の現代の食器でいえば,湯飲み用の土瓶,煮ものなどを盛りつけた大鉢,サラダの大皿などが共用器,飯茶碗,汁椀,小皿,湯飲み茶碗,神などが銘々器である。現在では,欧米,中国,朝鮮半島ほか世界各地の食事で共用器,銘々器が併用されている。しかしアフリカ,西アジアの牧畜民,農耕民のあいだでは共用器のみを用い,銘々器を使わない食事が広くみとめられる。日本の縄文人をはじめ,世界の先史時代の食料採集民の古い段階の土器には,本来,共用器も銘々器も存在しないらしい。新しい段階(後・晩期)の縄文土器,海外では先史時代の農民の土器には共用器が存在する公算も大きい。ヨーロッパでは,ローマ時代の赤色土器(テラ・シギラータ)に共用器,銘々器がともに存在する。しかし中世に入ると銘々器は姿を消しており,その後半になってようやく再現した。16世紀後半,フランスのモンテーニュは南ドイツに旅して,めいめいが杯をもって飲むさまに一驚と書き残している。〈最後の晩餐〉をテーマとする絵画のうち,古いものには共用器のみで銘々器を欠くもの,パンを銘々皿として代用しているものが多い。中国ではおそくも漢代に共用器と銘々器を併用し始め,朝鮮半島ではおそくも三国時代以来,両者を用いている。日本では弥生時代末ころの高杯(坏)(たかつき)や鉢が銘々器の可能性があり,《魏志倭人伝》の諏豆(へんとう)(高杯)を食事に用いた,という記事との関連も興味深い。須恵器出現(5世紀)後,土師器をも含め坏,皿など銘々器は全国的に普及した。

 世界の食器を通観して日本の食器に特徴的なのは,銘々器に誰々のもの,と所属が決まっているものがある事実である。銘々器は各自が使うものであるから,飲食が始まると終るまで他人は使わず,〈一時的な属人性〉が認められる。しかし,形,文様や記入した名前などによって他と区別可能な器を特定の人が使うことが認められていることもある。この〈恒常的な属人性〉がみとめられている銘々器を属人器とよんでおく。日本では,飯茶碗,神,湯飲み茶碗が属人器であることが多く,朝鮮半島では,飯碗,汁碗,神,匙が属人器にぞくしている。中国および欧米には属人器はない。ヨーロッパではナプキンおよびナプキンリングに恒常的属人性を認めているところがある。このほか,スリランカでは飯皿,台湾南東方の蘭嶼ではトビウオ料理をのせる木皿,モンゴルでは携帯する鉢,ナイフが属人器である。朝鮮半島における属人器は,飲食にあたって飯や汁を配る順序のめやすに有効という。日本の属人器もその役割を果たしてきた。西日本および朝鮮半島においては,葬式の出棺に際して戸口のところで飯碗を割る儀礼がある。属人器をもつ社会にのみ通用する儀礼といえよう。奈良平城宮の土器には,他人の使用を禁じる墨書をもつものがあり,属人性の主張をしめすものとして興味ぶかい。ローマ時代の軍団駐留地の銘々器にも名や記号を刻んだものがある。いずれも集団生活が営まれる場所で食器の混同を嫌った所産である。16世紀の近畿地方の漆器の椀には名前らしい文字を記したものがあり,また当時の飯用木椀が属人器だったことを示す記録もある。しかし,属人器の存在が顕著になる動機のひとつになったのは,銘々膳(箱膳)から共用膳(食卓)への転換であった。また木椀から陶磁器の茶碗への転換も文様の種類の選択が可能になるなど,属人器の発達をうながす動機となったといえよう。

出展 世界大百科事典

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